【日本人の精神】新渡戸稲造『武士道』を読んだ感想。

原書の英文にチャレンジしたかったが、本屋で翻訳版の武士道を見つけて購入。

非常に読みやすく二、三日かからずに読み終わったので色々書いていこうと思う。

新渡戸稲造と武士道について

1862年(文久二年)、新渡戸稲造にとべいなぞうは南部藩の用人を務めた新渡戸十次郎の三男に生まれる。札幌農学校で農政学を学び、アメリカ、ドイツに渡り、カナダで最期を迎えている。

彼は留学先のドイツのボン大学でベルギー人のラブレー教授に出会った。日本人の道徳観についてラブレー氏は「あなたがたの学校では宗教教育がない、とおっしゃるのですか」と新渡戸にたずねた。

そこで新渡戸が「ありません」と答えるとラブレー氏は困惑したそうだ。

宗教なしにどのようにして道徳を学ぶのだろうか?

また、新渡戸自身も困惑した。道徳を学校で教わったわけでもなく、どのようにして道徳観を育んだのか?深く分析し追求した結果、武士道であるという結論に至った。そこで彼はBushidoを著し、日本人の価値観を世界に広めたのであった。もちろん原書は英文で書かれている。

彼は武家の生まれでありながら、札幌農学校に入学した翌年には洗礼を受けクリスチャンとなった。本書の中では、日本に伝わる中国古典や神道的な価値観と旧約聖書、欧米社会の理念を対比しながら武士道について説明している。

1984年発行 D五千円券の肖像に採用される

文化人として日本国民の間に馴染み深い人物となった機会だと思う。

まだ僕は生まれていない頃、彼は五千円札D号券の肖像として採用された。

財務省より(「現在有効な銀行券」:日本銀行ホームページ(PDF:531KB 

年数も浅く発行量も多いので残念ながら価値は五千円のままだ。

なぜ今、武士道なのか?

武士道(Bushido)の第一版が刊行されたのは1899年(明治32年)。

文中では武士道が失われつつあると語られており、当時もいまと同じように「最近の若者は・・・」と言われていたのだろうと想像した。

三笠書房で出版されている本のキャッチコピーは「いま人は 何を考え、どう生きればいいのか」となっている。

自分は士族の流れを汲む先祖を持つが、残念ながら僕は真面目でもないし、多弁で落ち着きのない、自分には非常に甘い。武士のような生き方とは真逆であると思う。

日本人としてある感情を失いたくないとも思っている。人に優しく、正しさを心がけ、礼儀正しく、賢く、上を敬い、人を信じること。これは儒教の八徳のうちの仁義礼智忠信だ。

儒教と聞くと古臭く説教じみた雰囲気が感じられるが、その思想は長い年月をかけ日本人の心に深く浸透している。我々の普遍的な常識を因数分解してみると、その根源は神道、仏教、そして儒教にあるのかもしれない。

今まで自分の犯してきた失敗や己に克つことができなかった場面を改めて振り返ると、胸が痛くなる。これからの生き方のヒントを少しでも得たいと思い、本書を手に取った。

最後に

本書が欧米に向けて日本人の価値観を広めるために著されたことを頭の隅に置きながら読み進めると面白い。

欧米の政治家や哲学者、旧約聖書のエピソードと武士道と比較した例をみていくと、表面的な違いは多くあっても突き詰めると人のあるべき姿の本質は変わらないことに気付く。

終身雇用の時代は終わり、働き方をはじめとした様々な物事の転換期にあるいま、経済的な理由でグレーな商売に手を出してしまう人もいる。このコロナ禍ではマスクの不当な転売が話題になった。

法律には違反していなくても道理に反する例を見かけることは少なくない。

資本主義経済の現代において利益を生み出さずに生きることは難しい。拝金主義に陥ることなく、経済と道理の両立が健全な経済を成り立たせるということは渋沢栄一も述べている。

この令和の時代に改めて武士の生き方を見習う価値はあるのではないかと思う。

あま酒
はじめまして、あま酒です! 大学在学中に日本史、世界史や文化に目覚め、寺社や城郭巡りもしています。並行して先祖調べもやってます。 当ブログは日本史をサブテーマとした雑記ブログです