栃木のイタリア『中禅寺湖』外国大使が愛した理由と歴史。

夏もそろそろ終わりですね、紅葉の季節が恋しくなってきました。

紅葉といえば山奥のドライブ、ツーリング。まだ紅葉の季節には行けていませんが、僕は湖畔がすごく好きで栃木の中禅寺湖がお気に入りです。

以前に日光・鬼怒川へ旅行に行ったときに訪れた中禅寺湖湖畔のイギリス大使館、イタリア大使館が印象深い思い出があります。

なぜ中禅寺湖の畔に大使館別邸があるのか?

現在建っている大使館別邸はイギリス、イタリア、フランス、ベルギーの四国でそのうち常時見学可能なのはイギリスとイタリア。過去にはロシア、ドイツの別邸もあったようです。

なぜこんな山奥に大使館の別邸が建っているのか?

イタリア ロンバルディア州のコモ湖に似た風景

僕は中禅寺湖を栃木の中のイタリアと呼んでいます。笑

中禅寺湖はイタリアのロンバルディア州のコモ湖に非常に雰囲気が似ているのです。※渡伊歴はありません

イタリア・ロンバルディア州 コモ湖くぽ丸さんによる写真ACからの写真

こちらは僕の撮った中禅寺湖。どうですかね?曇っていてよくわかりませんが伝わると思います。

高い山に囲まれ、静寂さを感じさせる風景は確かに似ています。富士五湖だと西湖や本栖湖が雰囲気近いです。眺めているだけで涼しくなってきますね!

コモ湖周辺よりも奥日光の方が年間を通して平均気温は低く、避暑地としての魅力も高いのです。

夏は外務省が日光に移る

『夏は外務省が日光に移る』という言葉がありました。

戦前は避暑地で外交が行われており、最盛期は40軒ほどの外国大使館別邸があったということです。

この土地に個人別邸を建てたイギリス公使アーネスト・サトウ

明治29年、駐日イギリス公使として活動していたアーネスト・サトウという人物がこの地に山荘を建てました。

彼は通訳生として幕末に来日し、維新後には6代目の駐日イギリス公使に就任します。彼の回想録『一外交官の見た明治維新』によれば、18歳のときに兄の借りてきた『エルギン卿のシナ、日本への使節期』(著・ローレンス・オリファント)1という本を読み、日本に関心をよせるきっかけになったとあります。戊辰戦争についても詳しく叙述が残っていますし、当時の日本に大きな影響を与えた人物でした。

アーネスト・サトウ(1843-1929)

歌舞伎を楽しめるほどのレベルの日本語を習得したと言われています。日本人の武田兼との間に二人の子供をもうけます。

サトウ個人の別邸として建てられましたが、妻子を連れてくることはなく、外国の要人や身分の高い方を招いていたようです。後年、イギリス大使館別邸として使われるようになったとのこと。

内装の雰囲気はこんな感じです。アンティークが好きなので家具ばっかり撮っていました。

※1:出典に忠実な表記を心がけております。差別意図はございません。

あま酒
はじめまして、あま酒です! 大学在学中に日本史、世界史や文化に目覚め、寺社や城郭巡りもしています。並行して先祖調べもやってます。 当ブログは日本史をサブテーマとした雑記ブログです