この風潮の中で大学に行きたくないとか、状況を有り難く受け取るのは憚られますが、キャンパスに行きたくなくて内心ホッとしている。一定数はそういう人もいると思うんですよね。
そこで同じような人を見つけることで不安な気持ちが少しでも和らげばいいなと思い、5年間の大学生活をつらつらと書いていこうと思います。
合格、入学、そして燃え尽きた一年目
僕の出身高校は県内最底辺のレベルだ。
中学三年生の後半から半年間不登校でそこしか入れる高校がなかったという理由だった。
周りは専門学校に進学したり、就職する中、一般受験で大学に入った人は学年に片手で数えられるくらいしかいなかった。
大学に入ったらコンタクトにして服を買って、もっと色んな人に出会いたい。興味の赴くままに読書がしたい。車の免許を取って…と希望を抱いて大学に入ったけど現実は思うようにはいかず。
基礎ゼミの発表で撃沈したり、新しい友達とうまくいかなかったりで、入学3ヶ月目には「大学辞めたい」と思い始めていた。それでも続けていたのは惰性と辞める勇気がなかっただけ。
ゼミにも入らずサークルにも入らずに結局ダラダラと続けることになった。
精神状態がヤバかった時期
電車に乗ると冷や汗かいて立っていられない。大教室で人に囲まれるだけで動悸が激しくなって教室にいられない。バイトではミスが連発。頭がぼーっとして何もできない。
朝起きてから天井を眺めていたら気づいたらお昼で、とりあえずカップ麺を食べて、タバコを吸ってMacBookでネットサーフィンをするのがルーティンだったことがある。
この時期の取得単位はなんと0単位!ゼロに愛された男とは僕のことです!
ストレスで食欲が増すタイプだからかなり太った。
さすがにヤバいと思って心療内科を受診。
そこでもらった診断名は恐怖性不安障害でパニック障害の傾向もアリ。
頓服薬をもらっても発作がいつ起こるかわからない状態だから、飲むタイミングもわからない。
救いは一般教養の『哲学』の授業
授業内容はあんまり覚えてないけど非常勤講師の自著を読まされた。
内省やメタ認知的な考えがすごく養われたと思う。
人間関係の悩み事が絶えず辛かった時に、自分を見つめ直すための新たな視点が得られた。
長くは続かないアルバイトから手に入れたもの
服も欲しかったし、乱視用コンタクトは高いし美容院代も高い。
親が趣味に使う分は自分で稼ぎなさいというスタンスだったので、一定額以上のお金はアルバイトで稼ぐ。とにかく色んな業種を経験した。パソコンの修理屋さんや自動車関係やアパレルの倉庫とか。
自分がとにかく無能だということを実感した。少しはデキる部分があっても萎縮してしまって黙ってじっとしていたら邪魔者扱いだ。たかがバイトリーダーに「こいついらねーーーーー!笑」って言われたこともある。40過ぎにもなって目の前で言うか???って思ったが、それだけ自分が邪魔な存在であったのだろう。
一つ目のバイト先より二つ目はうまくいって、二つ目より三つ目とどんどん調子は良くなって人間関係も改善していくにつれて自分で次の課題を具体的に定められるようになった。
接客をしているととにかくいろんな人がくる。変な人もくる。それでも仕事中は客は客と割り切ることができたからなんとかなった。
楽しかったこと
わりと旅行に行った
友人数人とレンタカーを借りて一泊二日の旅行によく行った。Maroon 5のPayphoneを流しながら海沿いを走ったり、浜田省吾を流しながら山道をずーっと走ったり。海も山も行ったし武家屋敷や城郭にも行った。熱い温泉に入って、夜はビールでカンパイして現地の番組をみて寝る。最高。
キョロ充を装っていたとはいえ半分は対人恐怖症の自分に付き合ってくれた友人には感謝しかない。
美味しいものをいっぱい食べた
旅行先ではA5ランクのブランド牛、地域の食材をふんだんに使った会席料理、一流のお酒。
ラーメンも100軒くらいは食べ歩いたかな。ラーメン二郎や家系から注文後に目の前で製麺してくれるお店にも行った。
気づいたら5年目
こんな感じで山あり谷ありみたいな大学生活だった。
5年目の秋学期もオンライン授業が継続されるみたいなので一安心。
この時期(初秋)の売れ残り企業🆚売れ残り学生の就活にやる価値はあまり感じない。卒業したらとりあえずフリーターになろうと思う。これまでの人生、難題もなんだかんだ片付けてきたつもりでいる。もっと難しい問題に直面するかもしれないが、それは就職していてもフリーターでも同じこと。
堕ちるところまで堕ちたし、自分でこの状況をなんとかしようじゃないかと自信すら湧いてくる。