幕末史を学んでいると薩長土肥、幕臣に続いて岩手県(盛岡藩・仙台藩)から著名な人物が出てきます。
激動の時代であった幕末に倒幕勢力に立ち向かった奥羽越列藩同盟の一員であった南部盛岡藩、伊達仙台藩が現在の岩手県になっています。
幕末以降の岩手
幕末〜明治期の人物では『武士道』の著者である新渡戸稲造(旧五千円札の人)や後藤新平、高野長英が有名ですね。後者の二人はともに医者で後藤新平はのちに政治家として活躍し爵位を与えられました。

4人の総理大臣を輩出
平民宰相の名で有名な第19代総理大臣・原敬は南部藩士の家系に生まれていますし、その後も続けて第30代齋藤實、第37代米内光政、第70代鈴木善幸と4人の総理大臣を輩出しています。
歴代内閣の出身地を見てみると、18代目までは薩長土の鹿児島県、山口県、佐賀県と京都府出身の人物で構成されていることがわかりますね。
当時の東北は、白河以北一山百文と言われていました。
福島県の白河よりも北は一山に百文(現代で約1300円)の価値しかない。という差別的な言葉です。
ヒドイ話ですよね。その時代に総理大臣を輩出できたことはとてもスゴイ事だと思います。
奥州市役所周辺の武家屋敷、内田家旧宅。
奥州市水沢区の奥州市役所は水沢城跡となっていて、周辺は『偉人の町』とも呼ばれ数々の旧宅・武家屋敷が立ち並んでいます。
内田氏のお屋敷は武家住宅資料センターとして内部を公開していて、一度だけお邪魔したことがあります。
内田家旧宅武家住宅資料センター
戊辰戦争で使用されたというゲベール銃
https://www.city.oshu.iwate.jp/site/kanko/5905.html
古代〜平安時代の岩手県
古代の東北地方には朝廷の支配に対抗するエミシという氏族が住んでいました。エミシの長であった阿弖流為は奥州平定にやってきた征夷大将軍の坂上田村麻呂と戦い、和睦を結びましたが、のちに京都に送られ処刑されてしまいました。
奥州藤原氏が誕生するまでには、前九年の役にて朝廷と豪族清原氏により豪族安倍氏が滅ぼされ、後三年の役に朝廷と清原氏が争うなど対立は続きます。
![金色堂について │ 中尊寺を知る │ 関山 中尊寺[岩手県平泉 天台宗東北大本山]](https://myownlife.tokyo/wp-content/uploads/2020/09/konjikido_03.jpg)
2011年に文化遺産登録された中尊寺金色堂は記憶に新しいのではないでしょうか。
※金色堂は撮影禁止なので公式サイトより拝借しました
外国人観光客も見かけますが、数年前にもヴェネツィア商人・マルコポーロが訪れ金色堂を見た際に『黄金の国』と表現し、ジパングの語源になったという説もあります。
中尊寺を建立したのは奥州藤原氏の初代藤原清衡。奥州合戦で源頼朝に破れるまで基衡、秀衡、泰衡とつづいていきました。
日本最古の浄土庭園
中尊寺のすぐ近くには毛越寺というお寺があります。こちらも奥州藤原氏の2代目の基衡により建立され、大泉が池を中心に浄土庭園が広がっています。
まとめ
古代後期〜中世初期に奥州藤原氏によりもたらされた京都の文化と地域特有の古くからの文化が混ざり合い、また独自で北方の民族とも貿易を行っていたと言います。時の政権に従いながら、時には自立を失わなかった土地柄が明治以降の台頭に現れたのだと思います。
何度か岩手県に旅行に行ってみて、やはり田舎のイメージは消え去らないのですが、観光客の増加にともなって不便はほとんど感じません。都会の人間の想像する田舎とも違った魅力的な旅行先でした。