乃木坂46のルーツが乃木神社にあることはファンであれば知っていると思います。
乃木坂メンバーの成人式も乃木神社で行われていますし、名称の由来となったことから聖地として訪れる方も多いと思います。今回は乃木坂46のルーツでもある乃木神社とまつわる人物を紹介します。
乃木坂という名称の由来
東京都港区の乃木神社。こちらの神社に祀られている乃木希典こそ乃木坂のルーツです。彼は明治時代の軍人です。数々の功績が讃えられて乃木神社が建立されました。その乃木神社にちなんで乃木坂が命名され、乃木坂46の由来になりました。

乃木希典とはどのような人物か?
乃木坂46の誕生によって名称自体は老若男女に浸透しましたが、歴史が好きな方や年配の方は乃木将軍こと乃木希典を想像したのではないでしょうか。
人物について
乃木家は長州支藩長府藩の藩医の家系で、希典の父、乃木希次が武士の身分に取り立てられています。
彼の父が江戸に赴任していた際に長府藩邸(今の六本木ヒルズのあたり)にて希典は生まれました。当時の人は生まれた時と元服後は違う名前を名乗ります。希典の幼名は無人といいます。
子供の頃は虚弱体質で、学問で身を立てようと吉田松陰の松下村塾に入り、そこで修行をして立派な軍人になったというのも有名なエピソードの一つです。
第二次長州征伐の際に高杉晋作のもとで幕府軍と戦い、維新後には陸軍少佐から彼のキャリアはスタートします。西南戦争、日清戦争、日露戦争と参戦し、学習院大学の院長にも就任しています。
西南戦争の連隊旗喪失事件
明治新政府の西郷隆盛と大久保利通の政治意見の対立により、明治10年に西南戦争が勃発します。
乃木希典率いる軍勢は、薩摩軍に包囲された熊本城を取り戻すべく進軍しました。薩摩軍の主力は不平士族で白兵戦が中心の戦いでした。激しい戦の末に乃木将軍は撤退を決意するのですが、その際に連隊旗を薩摩軍に奪われてしまったというのです。
連隊旗を奪われるということは軍人にはとても不名誉な事でした。あるまじき事態に乃木将軍は失望し、銃弾の飛び交う戦地で前線に立っていたのですが、それでも死ぬことができず自刃未遂をして児玉源太郎に止められることもありました。
大正元年9月13日、明治天皇の大葬の日にあとを追って切腹自殺を遂げています。
評価は様々
一般的には乃木将軍といえば名将のイメージがあります。
吉田松陰に学び、維新後に明治天皇へ忠心を捧げ武士道を体現した人物でした。
日露戦争では司令官として活躍し、旅順戦では難攻不落と言われた要塞を落とし、大規模な陸戦が繰り広げられた奉天会戦でも日本軍の勝利に貢献をしました。
終戦より前の話ですが、水師営にて旅順戦の停戦条約を結ぶ際に、ロシアの将軍ステッセリ中将に帯刀を許し条約を締結しました。本来であれば降伏する側は銃剣を携えることは許されません。
敗者にも敬意を払う武士道そのものでした。
戦後、明治天皇に多くの犠牲者を出したことを涙ながらに詫びました。
一方で歴史作家司馬遼太郎の『坂の上の雲』では無能と評され『乃木愚将論』が語られることになります。
乃木将軍の肉声が残っている
Youtubeに乃木将軍の肉声がアップされていたので紹介します。
私見。
乃木坂46のグループ名が日本の歴史にゆかりの深い土地にちなんで名付けられたことは文化的な香りがしますし、乃木坂ちゃんの好感度の高さにも繋がっているのではないでしょうか。
歴史をもっと知れ!とか言っている方もいますが、乃木坂46をきっかけに乃木神社に訪れる機会ができ、乃木希典という人物を知ることができるのであれば、個人的にそれは良いことだと思っています。
最後に、僕の推しメンはいくちゃんです☆