古代天皇の命名の親は名歌人!淡海三船という貴族だった。

今上天皇の諱、今現在の天皇陛下のお名前は徳仁さま上皇陛下が昭仁さまというように「〇〇天皇」という呼び方だけでなく正式な名前があります。

諱(いみな)、天皇の場合は諡号しごうというのですが、東アジアでは高貴な身分の方の本名を呼ばない習慣があります。

上司や社長のことを下の名前で「太郎さん」と呼ばないのと同じです。

なので、歴史ドラマなどでよく見られる「信長さま!!」などと呼ぶのは失礼にあたるとされています。

”現在即位している”天皇陛下のことを今上天皇と言いますが「徳仁様」という名前があります。

歴史上の天皇も同じく、天智天皇は中大兄、弘文天皇は大友、天武天皇は大海人といいます。その次の持統天皇は女性天皇ですが、諱は讃良(さらら)といいます。

宇野讃良皇女

(宇野讃良皇女)

持統天皇は宇野讃良(うののさらら)と呼ばれていました。ステキすぎますね。

初代の神武天皇は『カムヤマトイワレビコノミコト』といいますよね。

このような和風の呼称に対して、我々に馴染み深い「〇〇天皇」という呼び方は中国風の名前なのです。

淡海三船について

奈良時代後期、弘文天皇の孫の皇族・淡海三船(722-785)という貴人がいました。もともとは皇族でしたが、一度出家をして還俗げんぞく(僧侶から俗人に戻ること)してから臣籍降下(皇籍離脱)をします。そして淡海真人の姓を賜り、桓武天皇の代まで式部省丞などの官職をつとめていきます。

淡海三船は文化的なものごとを好み、漢詩にも精通していました。

『海藻風』という撰者不明の漢詩集があるのですが、彼が撰んだという説が有力とされているほどです。

淡海三船の最大の功績

現代まで影響を残した彼の最大の功績は歴代天皇への中国風の名前の命名です。

事績やご性格をもとに中国古典などから単語を取り入れ命名を行いました。

世代 諡号 尊称 世代 諡号 尊称
初代 神武天皇 神日本磐余彦尊 十三代 成務天皇 稚足彦尊
二代 綏靖天皇 神渟名川耳尊 十四代 仲哀天皇 足仲彦尊
三代 安寧天皇 磯城津彦玉手看尊 十五代 応神天皇 誉田別尊
四代 懿徳天皇 大日本彦耜友尊 十六代 仁徳天皇 大鷦鷯尊
五代 孝昭天皇 観松彦香植稲尊 十七代 履中天皇 大兄去来穂別尊
六代 孝安天皇 日本足彦国押彦尊 十八代 反正天皇 瑞歯別尊
七代 孝霊天皇 大日本根子彦太瓊尊 十九代 允恭天皇 雄朝津間稚子宿禰尊
八代 孝元天皇 大日本根子彦国牽尊 二十代 安康天皇 穴穂尊
九代 開化天皇 稚日本根子彦大日日尊 二十一代 雄略天皇 大泊瀬幼武尊
十代 崇神天皇 御間城入彦五十瓊殖尊 二十二代 清寧天皇 白髪武広国推稚日本根子命
十一代 垂仁天皇 活目入彦五十狭茅尊 二十三代 顕宗天皇 弘計命
十二代 景行天皇 大足彦忍代別尊 二十四代 仁賢天皇 億計命
二十五代 武烈天皇 小泊瀬稚鷦鷯尊 三十五代 皇極天皇 宝天豊財重日足姫尊
二十六代 継体天皇 男大迹尊 三十六代 孝徳天皇 軽皇子(天万豊日尊)
二十七代 安閑天皇 勾大兄 三十七代 斉明天皇 (皇極天皇重祚)
二十八代 宣化天皇 檜隈高田 三十八代 天智天皇 葛城(中大兄)
二十九代 欽明天皇 天国排開広庭尊 三十九代 弘文天皇 伊賀(大友)
三十代 敏達天皇 訳語田尊 四十代 天武天皇 大海人(天渟中原瀛真人尊)
三十一代 用明天皇 大兄橘豊日尊 四十一代 持統天皇 鵜野讃良皇女
三十二代 崇峻天皇 泊瀬部 四十二代 文武天皇 珂瑠王
三十三代 推古天皇 額田部 四十三代 元明天皇 阿閉皇女(日本根子天津御代)
三十四代 舒明天皇 田村(息長足日広額尊) 四十四代 元正天皇 氷髙(日本根子高瑞浄足姫尊)

(日本歴代天皇大鑑より)

これだけの天皇の名前を中国の古典から取ってきて名付けたのです。

倭国王帥升と綏靖天皇の同一人物説も、スイショー(帥升)の時代にスイゼイ(綏靖)天皇は存在せず、当時の綏靖天皇はカンヌナカワミミのスメラミコトと呼ばれていたことで否定することができるのです。